モーニング娘。 舞台「ステーシーズ 少女再殺歌劇」@全労済ホール スペース・ゼロ

全労済ホール スペースゼロなう。


モーニング娘。
舞台「ステーシーズ」(初日)



関係者受付に丹羽多聞さん。


グッズ列はまだ長いので購入は諦めよう。
まあ、日替わり写真が欲しかったといえば欲しかったが、
週末お金を使い過ぎてしまったので、節約節約。



20時53分終演〜!
以下感想です。
(ストーリーの結末部分に触れています。ネタばれ注意してください)


率直な感想を言おう。
ちょっと厳しいかなあ〜〜


はじめに断わっておくと、娘。たちはかなり頑張っていた。
主役はれいなで、準主役級扱いでセリフをわりと多く与えられてるのが
りほりほとくどぅーの二人なのだが、
みなセリフを噛むことがなくほぼ完璧だった!


そのほかのメンバーも、歌やダンスでそうとう頑張っている。
れいな以外はみな加入して1年や2年そこそこのはずなのに、
ここまで出来るのかという驚愕さえ覚える。


娘。は良かった。
音楽も決して悪くはなかった。


では、何がいけなかったのだろうか。
脚本が良くない。
脚本が薄っぺらすぎる。


原作を読んでいないのでなんとも言えないのだが、
この原作をよく舞台化しようとしたな、というのが正直な感想だ。


原作の大槻ケンヂ氏にしてみれば、
これはホラーなんだからさ〜、スプラッターなんだからさ〜
という当然の声が返ってきそうである。


確かに、この作品は現実とは思えない異様な世界観を見事に表現している。
過去に映画化や舞台化されたこともうなずける。


しかし、話の落とし方がよくない。
ステーシーが突然しゃべりだしたのも、ステーシーに心があるのも、
すべて「神様のきまぐれ」で済ませてしまっている。


「神様のきまぐれ」はいいが、もう少し合理的な説明がほしい。
人間とステーシーの共存は可能なのか?
そういうところをもう少し突っ込んで描いてほしかった。


主人公詠子(れいな)はそのカギを握る重要人物かと思ったが
そういうわけでもなく、最後の大立ち回りを我聞さんと演じて
あっさりと幕となってしまった。


結局、この芝居の見どころは少女たちが“再殺”されるという
ホラー的な残虐趣味こそが最大の見せ場であり、
それ以上でも以下でもない。
しかも、映像作品ならまだしも舞台作品では、
そこまでグロい演出もできない。
血しぶきが飛んだりとかそういう視覚効果も皆無である。


ホラー作品なのに、そこが弱いんでは、
ますますストーリー性というのが大切になってくるわけだが、
冒頭に話したようにストーリーにあまりひねりがない。


だから、ホラーとかあっしは嫌いなんだよね。
あれは低能な人間が見るもんだ。
いや、大槻ケンヂがダメだと言っているわけじゃない。
彼は大変な文筆家だし、サブカルにも精通したインテリだと思います。


丹羽さんなので、脚本段階でもうすこし手直しというか、
ひねりを加えられなかったのかという点が残念である。


やっぱり、娘。には殺戮は似合わない。
もちろん、そういうギャップ(アイドルがゾンビ)が
面白くてのキャスティングなのだろうが、
異色作ではあるものの感動作とまでは言えない。


厳しい批評をしましたが、しかし、娘。たちはホントに良かったです。
セリフを覚えるだけでも大変だと思うし、
歌(ハモリも結構ある)やダンスのシーンも多いが、
ほとんどミスはなかった。
9期10期の成長たるや恐ろしいものがある。


もう一回見に行くかどうかはちょっと考えてしまうが、
迫力のステージであることは間違いないので、
生で見ておいて損はないと思う。


追記:
さゆは見に来なかったようである。
ガキさんは見に来てたらしい。
http://ameblo.jp/nigaki-risa/entry-11270747906.html(ガキさんブログ)


保田圭ちゃんも見に来てました(一番後ろの席に座ってました)。
http://ameblo.jp/tanakareina-blog/entry-11270954734.html(れいなブログ)



あらすじ

時に21世紀初頭。15歳から17歳の少女たちが突然変死を遂げ、
その屍が数十分から半日の内にゾンビとなって蘇り、
人間を襲って喰らうという現象が世界中で蔓延した。
さまよえる屍少女たちは、誰言うとなしに「ステーシー」と名付けられた…。
彼女たちは、165以上に切り刻んで初めて“再殺”される。
その再殺権は親族か恋人に限られ、
愛する者を手にかけられない人々は国際機関である
ロメロ再殺部隊”に依頼するしかなかった。