ついにベリキューも個別握手会を開く時代となったか…


Berryz工房×℃-uteベリキュー)「超HAPPY SONG」発売記念 個別握手会開催のお知らせ
http://www.helloproject.com/event/1206042000_event_berryzcute.html




スマも個別握手会をやってたと思うが、
スマはハコ推し(の暫定あやちょ推し)なので、
個別には参加しなかった。


しかも、参加券はランダム封入だという。
これはかなり不評のようだ(あたりまえだ)。



ハロプロ一強時代ならこういう殿様商売も許されただろうが、
新興勢力が台頭する中で(AKBには完全に追い抜かれている)、
なぜ、まだこういうヲタから反感を買う戦略しか立てられないのか?


いや、握手が悪いと言っているわけではない。
ふれあいは大切だ。
好きなら会って話したいと思うのが当然の感情だ。
(まず、ランダムという時点で、会えないならアウトだが)


しかも、握手があいもかわらぬハロプロクオリティ(高速)だったりしたら、
これはやるだけ悪影響である。
イベントを打てば打つだけ、ネガティブキャンペーンをやっているようなものだ。
これはスマで実証済みである。



落ちぶれたとはいえ、ハロプロハロヲタはやはり一大勢力だし、
娘。などは人気再燃の予感もする。
新曲が前作の「恋愛ハンター」に続きかっこいい系で、
動画も好調に再生数を伸ばしている。


今打つべき手は何か?
あっしは2つあると思う。


1つは、やはりメディアを掌握することだ。
ヲタ以外の一般の知名度を得るには、やはり最大の効果がある。
(AKBが売れ出した時、テレビで看板番組を持ち始めたこともあるし、
それに雑誌媒体への露出がハンパなかった)


2つめは、あっしがかねがね口にしている楽曲問題がある。
断わっておくが、あっしはつんく♂Pの才能を当時から高く評価している。
歌謡史に名を残す天才だと思う。
しかし、傑作も多い代わりに駄作も同じくらい多い。
多作家ならではの悩みである。


いま、娘。に新メンバーが加入したことにより、
つんく♂Pの音楽的霊感は高まっていると思う。
ピカソの創作の原動力が、女であったように、
9期・10期はミューズ的役割をかなり果たしてると思う。


そんな彼が、モだけならまだしも、
ベキスすべてに良質の音楽を提供しているかといえば疑問だ。
人間の能力には限界というものがあるからだ。


しかし、ハロヲタはたいていがつんく♂信者だから、
このつんく楽曲量産体制から依然抜け出せない。



楽曲問題に付随して言えば、
ハロプロはもうちょっとMVに力を入れたほうがいいんじゃないか、
という気がします。


楽曲が良くて、素材が良くても、
その見せ方(演出)が悪ければ、商品の価値はガラリと変わる。
(衣装とかもかなり重要)


スタジオ撮りでも、いいMVは撮れる。
最近の好例はコレ↓だろう。



ハロプロがMVに金をかけない理由は分かる。
金をかけてCDを売っても、アーティストに入る儲けは少ない。
売店もろもろ中間マージンを取られてしまうからだ。
(握手券を付けてCDを売るという方法は有効だろうが、
握手で売れるならなおさらMVにお金をかける理由がない)
それよりもコンサートにおける興行収入や、
グッズ売り上げのほうがはるかに利率がいい。


コンサートを開くためには新曲が必要だから、
リリースは定期的に行うが、そこに宣伝費用は掛けない。


決して、ハロプロの映像スタッフが無能というわけではない。
コンサのオープニングVTRとかいつも超かっこいい感じだし、
グッズの写真は実物以上に驚くほどかわいい。
ただ、優先順位でいうとMVがはるか下なのだ。


しかし、コンサートというのは、一般人に取っては
やはり敷居が高いと思う。
敷居を下げる方法もあるが、それをやってしまうと
要の収入減がなくなってしまう。


ハロプロの神髄はライブ。
これは間違いがないところだと思うが、
コンサートというのは、かなり限定された閉じた世界であることを、
忘れてはならない。
ここに安住してしまっては、
井の中の蛙である。
そして、ヲタもハロプロ自体も変化も進化もない。


新規開拓、一般層へのアピールが最重要課題である。


第一は、メディア戦略を軽視してはならないこと。
第二は、一般層にも受け入れられ、
かつインパクトのある楽曲(MVも大切)を効果的に提供できるかということ。


握手会に関して言えば、それは手段であって目的であってはならない。
握手会をすれば人気が出るというのは大きな誤りである。


ここを履き違えてしまうと、本末転倒も甚だしい。
人気がないから握手するというのであれば、
こういうヲタを釣るためだけのシステムでは意味がない。
一般層はこんな握手会見向きもしないからである。