崖の上のポニョ


先日、この映画を見た感想を少し書いたのだが、
どうもモヤモヤしたものが
心の奥に引っかかってしょうがなかったので、
2回目を見に行ってきた。


この映画は、やはり1回見ただけではなかなか理解しがたい映画である。
理由はこうだ。
(物語の核心部分について考察しています。
 これからまっさらな気分で映画を見ようと思っている方、
 ネタバレしたくない方は絶対に読まないでください。)




結論から言おう。
この映画にはクライマックスがない。
だから、初めてこの映画を見たとき、すごく唐突に終わった印象を受けたのだ。


映画的高揚感を期待していた人には、
期待はずれな印象を受けてもやむをえないでしょうね。
尻切れトンボというか、ものすごく消化不良なのです。


でも、宮崎監督はなぜこのような終わり方をしたのでしょうか?
従来の宮崎アニメならば、
必ずクライマックス(物語の山場)を持ってきて、
そして大団円という常道を踏んだはずです。


理由はさまざま考えられますが、
たとえば、
①公開日が迫っていて追いつかなかった。
②アイデアが枯渇してきた。
ファンとしては、①はまだしも②の理由は考えたくないところです。


そこで、あっしの推論は、
③宮崎監督はあえてこのような方法をとった。
のだと思います。
これまで、きっちりとエンターテインメントのツボを押さえて、
映画を作ってきた人がなぜその演出を放棄したのか?


それが、きっとこの映画のテーマにもなっているのだと思います。


この映画はポニョが人間の男の子に恋をして、
ついにはポニョも女の子になるというお話です。


そして、実際ポニョは魔法の力を失う代わりに、
人間の女の子になることを許されるのです。
確かに、ハッピーエンドです。


もっとも、宮崎監督はオリジナルの「人魚姫」のような
悲恋の物語を書くつもりは、はなっからなかったでしょう。
このあたりは、きちんと宮崎イズムが貫かれています。


しかし、このお話本当にハッピーエンドなのでしょうか?
ポニョはかわいくてまっすぐで、
そしてものすごく純粋に宗助(主役の男の子)に恋をします。


でも、それは本当の恋といえるでしょうか?


ポニョは人間の女の子になりますが、
それはもう魚の世界には戻れないということを意味します。


果たして、人間になったポニョはどうやって生活してゆくのでしょうか?
物語は、ハッピーエンドで終わりますが、
宗助とポニョは結婚の誓約を交わしたわけでもありません。
当たり前です、まだ5歳なんですから。


いったい、人間となったポニョは本当に幸せなのでしょうか?


そう考えると、この物語決して単純なハッピーエンドの物語ではないということです。


物語の後半部(本来ならば映画的クライマックスであるべきところ)で、
ポニョのお母さんであり母なる海の象徴であるグランマンマーレが、
リサ(宗助のお母さん)と二人きりで話をするシーンがあります。
この部分が、まさにこの映画の核心であり、
そしてまさに、この映画の謎を解く鍵でもあると思うのですが、
きっとその意味は一回映画を見ただけではなかなか理解できないと思います。


だから賛否両論、さまざまな意見がとびかったりするのです。


ポニョは、宗助に恋をして人間になる。
でも、それだけで人間の生活はできない。
もう、魔法の力は失ってしまうんですから。
そうなると、身元引受人になるのはリサしかいない。


この映画は、人間と金魚が恋をする物語だと勘違いされそうですが、
(まあ、それがほとんどメインなんだが)
隠れテーマは、リサがポニョを一生面倒見るという覚悟の物語なのです。


だから、この映画はぜんぜん子供向けなんかではないのです。


あっしの評価は、65点。
少し厳しいかもしれませんが、
それはただ単に映画的クライマックスがないという理由からだけです。
内容は素晴らしいし、とてもいい映画だと思います。


パンダコパンダ」や「トトロ」の系譜につながる
愛すべき作品になっていると思います。
水没する町というイメージも「パンダコパンダ」と通じるものがありますし。
けっして主題歌のみで、評価すべき作品ではないと思います。